
Answer 答案
4×5 大判モノクロフィルムで、
大学入試の問題を自らの身体に刻みつけるパフォーマンス。
論考を読む:姜麗華 教授(Chiang, Li-hua)〈自己を黙観する ──「問い」と「答え」をめぐる逆説の思考的実践〉→
許哲睿は108課程綱要の教育改革の第一期生(いわば「モルモット」)として、2022年5月の大学入試(学測・GSAT)の経験を着想源に、2024年3月から4×5 大判モノクロフィルムで《答案》シリーズのパフォーマンスを撮り始めました。
許哲睿身為108課綱教育改革第一屆的白老鼠,以2022年5月考學測的經歷作為靈感,2024年3月開始使用4x5大型黑白底片自拍《答案》系列行為表演。
映像 Video
トークと、国術の映像作品
会場:台湾図書館 双和芸廊 日時:2024/09/14
撮影年:2024年。20歳、台湾の民法上の選挙権を得たばかりのころ。
Year of filming: 2024. Age: 20 years old, just granted the right to vote under Taiwan's Civil Code.
試験マシン · Examination Machines
前面で問い、背面で答える。
許哲睿は、台湾ならではの大学入試の歴代問題と「未来の問題」を自らの身体に刻み ── 前面が問い、背面が答え ── 等身大のモノクロ肖像として撮影しました。これまでに 50 組の二連作。
























《答案》:「答えは背中に現れるのに、自分では見えない。ならば、どうやって前へ進めばいいのか。」
ここは、試験によって誰が王になれるかを決める王国。試験王は、数えきれないほどの試験マシンを設計しました。
試験王は「試験用紙の薬丸」を作り、試験マシンに食べさせます。薬丸を飲み込んだマシンは、背中に王の望む答えを浮かび上がらせますが、マシン自身には永遠にわかりません ── なぜこれが答えなのか。答えの正誤 ── いえ「良し悪し」は、王の手のうちにあります。試験マシンはただ従順に書くことしか知らず、うまく答えて高得点を得た者は「発言する権利」とさまざまな階級を授けられ、できの悪い者は不良品として廃棄されます。
ついに、年度試験の合格発表の日。最高点を取った試験マシンが司令台の上で表彰されたそのとき、突然に歌い出しました。けれどそれは、王が許したあの歌ではなく……
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(試験マシンの日記)
試験マシン番号:10830177
日付:1110121(金)
今朝、工場で目を覚ますと、一冊の生物ノートを拾いました。表紙には《若い試験マシンのための一日睡眠指南》とあります。私にはどうにも読めません ──「毎日、復習だけで眠れるのは4時間しか残らない。どうして8時間も眠れようか」── もう間に合わない! 私は試験会場へ急ぎました。
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「教育は権力者の思考を映し、学校は大規模な洗脳機関と化し、試験とは、誰がより徹底的に洗脳されたかを競うものだ。」
許哲睿は「思想国術」を独自に編み出し、我が国ならではの題材(台積電〔TSMC〕、三民主義、死刑存廃、地震、原子力、注音符号など)による大学入試の歴代問題と「未来の問題」(公民投票、国歌など)を身体に刻み、仏教の「明王」の表情と結び、4×5 大判モノクロフィルムで等身大のセルフポートレートを撮影し、寓話を綴ります。そして問う ──「意味を問わぬまま」の試験が、生にどんな傷跡を残すのかを。
学徒は未来の人生のために、過去の歴史を暗誦し、現代の政治と社会意識を試験されます。
「答えの裏面とは、世界への問いである。」2022年1月21日、マスクを着けて入試会場に入りました。COVID-19の防疫のためにエアコンも扇風機も使えず、前後の扉は封鎖され、許哲睿にはわずかな換気窓だけが息をつく場所でした。あまりに密閉され、問題を解けば頭は焼けつき、めまいのなかで答案用紙の文字はますます見知らぬものに思われて……かすむ視界のなかで、一つの「幻覚」を見たのです ──「私はこのまま、規律にみちた人生を過ごしていくのだろうか。」
108課程綱要の教育改革は、許哲睿の世代の学生に共通する経験であり(いまなお現在進行形です)、保護者も教師も、朝令暮改の政策に手足の置きどころを失いました。今回の課綱改革が掲げたのは、開かれた思考、論理的批判、素養(コンピテンシー)の実践、教科横断の統合、長文読解など。そして教室では、台湾、中華民国(Republic of China)、そのほかの国々の呼び方にも変化が生じ、そこには国家アイデンティティが潜んでいます。
108課綱は詰め込み教育を打ち破ったかに見えます。それで、その先は。シニカルで思考の硬直した教育のなかで、学生は選択問題や、開かれていると称される論述問題を前にしても、なお採点者の意を汲まねば高得点は得られず、「自分の声」を失っていきます。広い意味での試験は、人生のいたるところに満ちています。幼いころは保護者どうしに優劣を比べられ、成人すれば就職と昇進、老いれば健康診断、さらには4年に一度の選挙までもが、大規模な知能試験と揶揄されるのです。
学生時代をふり返れば、毎日の問題演習がもたらす肩や首のこわばりをやわらげるため、学校の休み時間や昼休み、そして毎晩の夜なべ勉強のあいだに、許哲睿は国術とストレッチを練習していました。それはやがて同級生が抱く彼のイメージにもなり、卒業後に再会すると、演じてみせてほしいと頼まれるほどでした。
文武両道!? 試験も国術も、日々くり返し「鍛錬」して、知識(姿勢)を骨身に刻みつけることを求めます。国術の本質は攻防にあり、護身は修身でもあって、武をもって和を成し、武をもって道に入る。けれども多くの人は、華やかな外形や競技での受賞ばかりを知り、馬歩を蹲っても拳理を解さず、身法を死なせてしまいます。試験は、自らの学習成果と能力を点検し、集団の協働の拠りどころとするためのもの。けれど試験はまた個人主義をも要求し、自らの力で一席を奪い合わねばならず、ほかはみな敵となる。学生はただ成績だけを追い求めます ──「知識なんて、試験が終われば先生に返してしまう。」
こうして国術も試験も、ただ「生き延びる」ためだけのものになったかのようです。そして生物の競争の第一原則は「暴力」。試験が形づくる功利の文化のなかで、受験者どうしは攻め合い、上位者もまた暴力によって「思想を同化」させ、「人」への信仰を形づくっていく。この現象は、学校から国全体へと広がっていきます。
許哲睿は、異なる世代の人々を招き、自らの学びの経験を思い起こし、社会の共通性や歴史的な位置づけをはらむこれらの問題が、現代の学生の脳裏にどんな思考を植えつけ、ひいては社会をどんな未来へと導くのかを、ともに考えようと呼びかけます。
論考へ:姜麗華 教授(Chiang, Li-hua)〈自己を黙観する ──「問い」と「答え」をめぐる逆説の思考的実践〉→